「片言教授」と「お威張り教授」

私のいた研究所にはなぜか多くの日本人教授がサバティカルで訪れていた。

そこで名物となっていたのが、日本から来る「片言教授」と「お威張り教授」だった。

「片言教授」は、とってもチャーミング〜。幼稚園児より少ない単語数でたどたどしく話すので聞き手が待ちくたびれてお花畑を散歩するくらい。でも突然「遅延」「アウラ」「システム」「超越論的自我」とか聞きなれない単語を駆使して話したりするのでとってもキュート。でも、日本の大学ではなぜかその言葉の専門家として教壇に立って現地人の何倍も高い給料をもらっているけど特別恥ずかしく感じないみたいで、とってもチャーミング〜

「お威張り教授」は、とっても怒りんぼ。日本の大学仲間内でしか通じないようなローカルな話を現地の研究者相手にするのも平気。でも愛想笑いが苦手な若い現地の研究者は理解しているフリができません。なので、「お威張り教授」はプンプンお怒りのご様子。プンプン。「現地の研究者も年々レベルが下がっている。教養のない若い研究者が増えてどうにもならない」と、自分の無知さ加減は棚の上に置きまくりで、棚も崩壊寸前。僕チンのような現地化した下っ端にまで自分の正しさを認めさせてどうするの?そんなどうでもよい言い訳をしている自分に悲しくならないんだろうか?ガンバリ屋さんだね!

てなことを、こんなサイトを見て思い出した。

真面目な話、「国際化」というのは年寄り教授様や成長曲線が下降するだけの大学教員たちが行う何の成果も生みださない空虚なご交流ではない。

そんなことは自分の金でやってくれ。

そうではなくて、これから日本を背負って立つ若い世代「個人個人」をどう成長させるかという極めて戦略的で教育的な問題だと思うけど、誰も真剣にそんなことを考えない。だって、何の責任も痛みも伴わない今の状況が一番楽だからね。

現在大学にいる人材では日本の大学の国際化は不可能だから、国際化を可能にする人材を長期的視点に立って確保し、そして教育するという議論のはずなのに、結局は単年度予算で制度だけ作って金をばらまくだけ。

国は、どうやら年寄りと専任教員をふにゃふにゃにして人文学を滅ぼしたいようなので、若い人はこうした見解を「当たり前」のことと考えて、さっさと海外へ行ったほうがよいと思うよ。

最終的に日本の組織に入るにしても、海外において自分の力で生きながらスキルを得てキャリアを積むことで、ほとんど能力差のない人文系大学教員たちが繰り広げる不毛な物知り競争や論壇内どちらが正しいか合戦とは「多少」違ったポジションを確保できるだろう。そうすることで、シゴト以外のことで神経をすり減らす割合が減ると思うしね。

それに、多少の年齢的ハンデを背負っても、海外なら学者以外の選択肢も色々あるし。

はてブで馬鹿みたいに反発する時間があるなら少しでも早く留学したほうがよいと思うよ。マジで。