人文学研究者の大好きな言葉:「文化への冒涜」

ほぼ日刊イトイ新聞 個人的なユニクロ主義。より

小さいところにこだわりすぎですよね。
本はまだ商品ではない
商売には、お客さんとの対話が要るのに。

柳井
純文学とかならわかりますけど、そうではないものでも、極論したらたいした違いを生まないところで手間をかけすぎているように見えます。それが評価できればいいんですけど、評価できない点まで来ているというのが、あるんじゃないですか。

糸井
そうですね。従来の本の市場には、フェティシズムというか、「本って、大事なものだ」という幻想を前提にしている人たちが集まってきていますから。

柳井
それにやっぱり、みなさん、本を出すということを、何か「歴史に残る」と捉えているというか(笑)。自分の記念碑みたいな、そう思って本を書いていらっしゃるかたが、非常に多いんじゃないでしょうか。

糸井
それはまったくそうですね。プロでもね。

柳井
そういう前提で、一字一句まちがいのないようにしようとこころがけているようなことが非常に多いですよね。

学問だったら、それでいいんですけど、現実のことを表記するという面では、時間をかけすぎて、商品としてはむつかしいのかもしれないですけれども。

【中略】

糸井

流通を実践している柳井さんならすぐに気づくと思いますが、本の業界は「本を買うお客さまが何を欲しがっているか」「何を投げ入れると、受け入れてくれるか」「何を提供すると、不平不満がかえってくるか」という実験もせずに、なおかつ販路も人にゆだねていますよね。作るだけ作っておいて、あとは「売れないのは、運が悪い」みたいな大ざっぱな世界ですよ。作り手として責任を取っていない商売かもしれません。

柳井
わかります。本って、書く人が、「言いたいことを言いっぱなし」で。お客さまの反応だとかそういうことをほとんど気にしていないですよね。だから本というのは、まだ「商品」ではないんじゃないかと思います。

糸井
「本ってまだ商品じゃない」っていう柳井さんの言いかた、そのとおりだなあ。そうでしょうね。

柳井
商品化を拒否しているようなところが、かなりあるんじゃないですか。

糸井
おもしろいですねえ、こういう話。いままで、いま柳井さんがおっしゃったようなことを言うと、なぜか攻撃を受けちゃってましたよね?本好きな人たちから。

柳井
たぶん日本人だけではないと思いますが、本は文化を代表していますからね。だから、文化に対して、商業の世界の現実を述べると、「文化への冒涜」だと思われてしまう。

糸井
ふふふ。そういう時って、ちょうど「冒涜」という言葉が選ばれるねえ。

柳井
お客さまがいて、サービスをして、その対価としてお金をもらうわけですから、そこには対話がないかぎり、ほんとうは、商売、成り立たないですよね。でも、本というか「文化」からすると、商業は低いものだから、軽視してもいいとされてきたんでしょうねえ。

糸井
ほんとうは、一部のインテリだけじゃなくて、みんなが読んだりしているものだから、ぜんぜん、高尚にしなくてもいいのに。

柳井
本の世界では、やっぱり、インターネットのような、お客さんとの対話はできていないんじゃないですか。