友来たりて

先日、ドイツ時代の研究者仲間が来日したので会いに行った。

彼も、博士号取得後大学から離れて、企業向けの人材養成コンサルタントをしている。

私が大学を離れることに抵抗がなかった理由の一つに、研究者仲間に大学を離れる連中が多かったことが挙げられる。

その中でも最も優秀で私も尊敬していた年下のS君は、むちゃくちゃ面白い博士論文を出版した後公的機関に就職し、働きながら研究者として活動する道を選択をした。日本だと日本学術振興会で働きながら、同時に研究者でもあるみたいな感じだろうか?(追記:そういえば、就職する前にマックスプランクポスドクを二年間やっていた。)

それはそうと、以下コンサルの友人との会話内容。

◎人文系に限らず、ヨーロッパにおける大学の雇用状況には世代間格差が大きく横たわっている。

◎大学は永遠のコネ社会であり続けるが、コネで供給できるポストはせいぜいポスドクまでになってしまっている。

◎楽にポストにつけた時代(『68年世代』周辺)の研究者を組織の中に膨大に抱え込んでいることの弊害があまりにも大きい。我々が所属していた人文系の某分野では、とりわけ2003-4年を境に若い研究者のアウトプットが急速に面白くなくなっている。(追記:大学に残る若い研究者の母集団が減っているために、研究自体の多様性が無くなっている。)

◎その一方で、若くて優秀な人材がアメリカや大学以外の世界へ流出している。某研究所の歴史上最高評価を受けて博士論文を提出した人が、バイオ系のベンチャーを立ち上げてバイアウトした後、某検索エンジンの会社へ就職してしまった話は有名。

◎おまけ:ここ10年間大した仕事をしていない私の元指導教授が政治力を駆使して、Exzellenzclusterに選ばれた(友人も怒っていたが、各クラスターにモノ凄い予算がついている)⇒役所側(DFG)の担当者も皆博士号を持っていますな。

ま、こんな感じ。

一番おもしろかったのは、大学のシステム自体が「(個人においても、時代においても)学問のレベルは徐々に進歩していくものだ」という進歩史観に基づいていることの弊害があまりにも大きいという点で意見が一致したこと。

理系、とりわけ物理学は進歩史観が最も悪影響を与える分野といえる。相対性理論だって量子力学だって、あっという間に学問の根底を覆してしまったわけで、進歩史観に基づいた採用・評価・昇進システムを当て嵌めることには無理がある。

現代の学問に対する評価基準設定の難しさ・複雑さを認識したうえで採用・評価・昇進システムを構築するには、多分野にまたがる高度な専門知識が必要となるはずだが、行政側にその認識がまったくないし人材を確保していないので、結局大学内のコネ祭で終わっている。

等々。