■
「20代で教授職相当に抜擢、体内時計研究で先頭走る」、理研の上田泰己氏
PNAS や Nature など一流誌ばかりですね。理系には、こういう人がまだ日本の大学に存在できるくらいの希望があるのか。。。
人文系も多少の例外1、2はあるけど、現状は本当に絶望的だ。。。
池内恵とか読んでもなんだかガッカリだった。権威主義的な日本人学者たちへの反論みたいなのは余計だと思うなあ。日本ローカルのタコつぼで年寄りとやりあっていると、本人たちが思っている以上に日本的価値観に支配されすぎていて、一読者としてはほんとーーにシラケル。年寄りどもとは別次元で仕事をしてほしい。それ以前に、今の時代イスラーム学やっている人間が、なんで日本なんかにずっといる必要があるんだろう????ようわからん。
自分の経験から考えても、遅くとも修士課程が終わった時点で海外の研究所へ行くぐらいの能力がないと、人文系の国際サーキットにいるような研究者と伍する研究者にはなれないと思う。
いや、正直修士課程終了時でも遅すぎると思う。
ましてや博士課程が終わってからでは絶対に遅すぎるのだ。
他の外国人研究者と比較しても、その時点で決定的に言語能力が劣ってしまうことになるためだ。言語能力なんて研究に大して重要な意味を持たないよ、と鼻で笑う奴は結局人文学研究を深く理解していない人間なので相手にすべきではない。
高度な研究内容を維持しつつ、誰にでも分かる言葉で書いたり話したりして研究者コミュニティーに入っていくためには、相当の時間と労力をかけないと無理だ。彼らの出版物だけ読んで「俺って最先端?」なんて言い張るのは、ラップ聞いてB-BOYやってる中高生と同じで滑稽でっせ。
博士課程なんかに行って、指導教授に媚びへつらい、貴重な時間の無駄遣いにすぎない雑用を喜び勇んで引き受け、学会や研究会で無為に耳学問したり、みんなで仲良く飲み会に行く暇があれば、英単語の一つでも覚えて、然るべき場所へ行く準備をしないと益々コミュニティにも入れず取り残されていくんでないの?なぜこんな当たり前のことが理解できないのだろう?
現在の若い世代が、幾ばくかの「価値をもつ」研究者になりたければ、出来るだけ早く日本の大学から離れなければならない。
専任になったところで、最初の何年間だけは夢見がちに過ごせるが、後は大学雑用要員として一生暮さなければならないんだぜ。まともな人間ほどありとあらゆる雑用を押し付けられ、本を読む時間すらないのに自らを「研究者」と名乗るつもりなの?
文科省が悪いとか、日本社会が知への理解が足りないから悪いとか愚痴を言う前に、研究者として研究を続けることのできる環境へ自分を置く努力をすることも、研究者の業務のうちではないんですかね。誰かが研究者の椅子を用意してくれているとでも思っているのかね。
ま、どうでも良いけどさ。