日本にノーベル医学・生理学賞が来にくい事情(下)

「論文」を数多く、より「格付け」の高い雑誌に発表すること。このモノカルチャーが、「歪み」の元凶になっています。そしてこの「論文発表」とは、技術情報の「公開」つまり「独占的競争力」の自己放棄になっていることが、日本社会にはちっとも理解されていません。

ところが80年代末から特に「失われた10年」の90年代以後、各社の企業研究は急速に「応用〜製品に直結するもの」もっとはっきり言えば「表面的な商品開発」に限局されるようになります。プロジェクト期間3カ月、即製品化といった「開発仕事」が企業研究所では圧倒的に増えてゆきます。

 これらと並行して95年から導入された日本政府の「科学技術基本計画」以後、日本の「研究大学」の「基礎研究者」は、「ともかく論文を数書けばいい」というひそかな退廃に、急速に傾いてゆきます。

先ほどの「論文評価」を具体的に整理しておきます。論文なるものは

「たくさん書く」のがよい

「素早く投稿する」のがよい

そして

「格付けの高い雑誌に書く」のがよい

ことになっています。改めて書いてみて、あまりにも金融危機と似た構造なのでいやになります。

ハゲタカ・ファンドならぬ粗製濫造研究者の「闇雲パブリッシュ」でも「数字による評価」で仕事を強弁できます。誰とは言いませんが東京大学のとある教授で、30年来自分の業績らしいものはゼロなのですが、助手や大学院生に実験などをやらせ、共著者として名前だけ連ねて自分の顔が利く学会に「論文投稿」し、「業績500本以上」を標榜して、数十億の資金をぐるぐる回している人がいます。