石井裕2

マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ教授 石井裕氏

「もちろん技術は重要です。お客様のニーズもビジネスでは大切でしょう。しかし、それが私たちの駆動の原点ではない。私たちを駆り立てるのは、新しいビジョン。私たちの仕事は、“タンジブル・ビット”という新しいコンセプトを中心とした、ビジョン駆動型のデザインなのです。目的はビジョンそのものであり、技術やアプリケーションもそれを伝える手段にすぎない」と、石井氏は言い切る。

 ビジョン駆動型のデザイン──「市場ニーズ」「顧客満足度」「開発効率」「開発スピード」といった言葉をたえず耳タコのように聞かされている日本の多くのエンジニアにとって、これは挑戦的ともいえるフレーズである。

「たとえそのアプリケーションが廃れたとしても、あるいはその実装技術が古くなってしまったとしても、ビジョン自体が本質的に強いものである限り、時代を超えて生き延び、次の新しいデザインを生み出すエンジンになるはずです」──そういう、すがすがしいまでの確信が石井氏にはあるのだ。

では、けっして古びることのないビジョンを生み出すには何が必要なのか。「研究の駆動力になるのは、なにより独創です。すでにある問いについて答えを出すことはあまり意味がない。大事なのは、誰も問うたことのない問いを発することだ」と石井氏。「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」と言ったアラン・ケイの言葉を彷彿とさせるような名言だ。

「私は、MITではプロフェッサーであると同時に、アーティストであり、デザイナーであり、サイエンティストであり、そしてビジネスマン、セールスマンです。ファンド・レイジング(資金調達)も自分でやります」

そういう“競創的”環境の中で、氏は誰も手が届かないような「出過ぎた杭」になるべく努力を重ねてきた。

その根底にあったのは、ハイレベルな知的飢餓感だ。「ハングリーでなければ何が食べられるか、何がチャンスかもわからない」。飢餓感とともに屈辱感も彼の燃料のひとつ。「最初は私だって馬の骨。高名な先生に会いたいと思っても、誰も会ってくれなかった。その屈辱を支えにしてきた」。その中で決して失わなかったのは、誇りと情念だ

「How ではなく、Why 。その“なぜ”を何度も繰り返すと、結局哲学のレベルになる。哲学をもっていないと人は生きていけない。その哲学は、エンジニアにも研究者にも、それこそ、そのあたりのおばさんにも子供にも理解できる普遍的なものでなければならない」「哲学を究めるとは、死の準備をすることにほかならない」と言ったのは、古代ローマの哲学者・キケロだった。石井氏の仕事哲学も結局はここに行き着く。