大学の人材劣化

宮田秀明の「経営の設計学」NB Online より引用

大学の人材劣化をどう克服するか
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しかし一方では、大学の教員の行う研究に期待する声は年々低くなっているようだ。

「大学の先生にはできないでしょう」と面と向かって言われることもある。残念ながらその通りと言わざるを得ないことも多い。大学の人材は年々劣化していると思う。大学の劣化は教育の劣化、国全体の人材の劣化につながるから憂慮すべきことだ。根本的な解決策を考えなければならない。人材の流動化の促進が一番の有効策だということは衆目の一致した意見だろう。
15年くらい前、私が教授に昇任して、学科の人事委員会のメンバーになった時、最初に提案したのが、教員の“純粋培養”の禁止を明文化することだった。純粋培養とは大学院を卒業して、そのまま教員になること、つまり一度も実社会に出ない教員養成法のことである。昔はこれが普通だったし、今でも、そのようなキャリアの教員が多い。しかもこのような純粋培養の教員が主流派になっている。東大総長になった方で民間経験者はいない。

大胆かと思った私の提案は割と簡単に認められ、東大以外の職場経験を持っていない教員は採用しないことになった。しかし、実際には、国の研究所や企業の基礎研究所経験者が多く、本当の意味での民間経験者、つまり一般経済社会で責任とリスクを取った経験のある人のケースは稀である。だから失敗人事も多い。

民間経験者とは民間企業のビジネスの現場で責任とリスクを取ったことのある方と定義し直した方がいいかもしれない。見積もりをしたり、設計したり、製造したり、クレーム処理をしたり、営業したり等々の実務経験が大切だと思う。

大学の人材劣化はかなり激しいと思う。霞が関の役人の劣化とほぼ同じペースで進行してきたとも言えると思う。工学部の教員の中には「でも給料が安いですから」と言う人さえ現れてきた。プライドもなくなりつつあるのだ。

責任も労働もはるかに小さい文系学部の教員と全く同じ給与水準だということも問題だろう。私は大学が法人化する時には、学部カンパニー制を取るべきだと思った。総合大学としてのメリットもあるが、それはほとんど教育面だけだ。それぞれの学部はかなり異なった価値へ向かっている集団と言えるのだから、価値の違いによって別々に分け、カンパニーとして経営し、それぞれのカンパニーを自律的に機能させることが活性化につながるだろうと思った。

実学を行っている医学部や工学部と、文学部のような学部が共有できる価値観は限定的なのだ。さらに工学部の教員と文学部の教員では、勤務の実態も、研究の方法も全く異なっている。教員の評価とインセンティブシステムの大幅な改革も大切だろう。

仕事をしない人が有利になるシステムはおかしい

私たちの研究室もそうだが、人気の高い研究室には志望者が多くて、大所帯の研究室になる。人気は評価をしてくれてのことだし、学生が増えるのはありがたいのだが、それは労働強化につながり、時給換算すると給与もどんどん下がっていくことでもある。

学生数が増えると、必要な研究費も増えるので、研究費を稼ぐための仕事も増える。国や民間から研究プロジェクトがたくさん舞い込んでくる能力の高い教員の場合も同じだ。仕事が増えて忙しくなるが、自分へのインセンティブは変わらない。つまり仕事をしない教員が一番有利になるシステム、ネガティブ・インセンティブ・システムになっているのだ。

国立大学が法人化して以後も、大きな改善は見られない。公務員制度改革と同じように、大学の教員制度改革が必要だ。優秀なアジアの留学生が日本を素通りして欧米に向かうのも、日本の大学で社会人教育が推進されないのも、大学の人材劣化が一因である。

≪参考文献≫

「異脳」流出―独創性を殺す日本というシステム

「異脳」流出―独創性を殺す日本というシステム