適切な距離感

「評価家ごときが・・・」

「当事者でもないくせに・・・」

部外者で責任も何もない人間に偉そうなことを言われると、つい吐いてしまうセリフがある。

日本の大学に巣食う自称人文学研究者たちがピーチクパーチク偉そうなことを言っているといつも上記のセリフが頭の中に思い浮かんでいた。

業界を去る直前には直接当人たちに上記のセリフを投げつけて激怒させることを日課としていたなあ。はは。

彼らは彼らで「外国で勝手なことをしている君のような人間に就職口なんかないよ」という捨て台詞を吐いてチンケな優越感を満たしていたから、まあどっちもどっちか(笑)

とはいえ、既得権益層である専任たちが何を考えているかよく分かる発言ではないか。

私自身何度も専任の大学教員どもから投げつけられたこの種の発言は、簡単に言えば「我々の言うことに従わなければ、業界から抹殺するよ」という恫喝である。

潰しの利かない人文系研究者の出る杭を潰すなんて、生殺与奪権を持っているやつらにとっては簡単なことである。

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ま、それはそうと、大学の人文系学部に属している連中って、所詮世の中の森羅万象に対して全く当事者じゃないのだ。

永遠の観光客?

かっこいいですねえ〜

とくにひどいのは、西欧関係の自称「研究者」だ

ラカンによれば、デリダによれば、ネグリ・ハートによれば、フーコーによればとか言って彼らの名前を論文量産の手段として利用したり、彼らの著作を嬉しそうに何も考えず翻訳している連中は、別にラカンデリダネグリ、ハート、フーコーと同じ土俵に立つなんて考えてもいないのだろう。

こういった”ビッグネーム”を利用して世界から孤立した島国で縄張りを確保し、彼らが来日すればコバンザメのようにへばりつくグルーピーを気取っている一方で、日本語のエッセイや論文では”ビッグネーム”を批判していたりするんだからもう笑うしかない。

お気楽なもんだ。

彼らは、結局当事者ではなく観光客にすぎない。つまり、研究者ではなく「研究者評論家」にずぎないのだ。

こんなやつらに科研費やら助成金やらを使うのではなく、海外で活躍している若い研究者を呼び戻してくれ。

彼らこそが、”ビッグネーム”とも適切な距離感をとれる当事者なのだから。