マルドメなひとたち

タイに出張中の同僚は大丈夫なのだろうかと心配しつつ(>大丈夫でした。ついでにボンベイ・オフィスも普通に営業)、某シンガポール方面からの圧力にクタクタ。

しかし、企業の中枢で活躍するアジアの若いビジネスマン(特に中国)と話していると、どうしても考えこむことが多くなってしまう。

そのあと必ず悲しみと怒りが襲ってくるんだけど。。。

先ず、英語圏で教育を受けた若い連中がかなりの数企業の中枢に入り込んでいるため、そのグローバルビジネス向け人材の厚みにいつも圧倒されてしまう。

それだけではなく、たとえば中国で非常に存在感があるドイツ企業への対応にもドイツ語が堪能な中国人が大量に動員されている。最初にその光景を目の当たりにした時、恥ずかしながら大きなショックを受けてしまった。

もちろん外国語ができる人の数に比例して収益が上がるわけでもないし、言葉ができない優秀なビジネスマンもたくさんいるんだけど。

しかし、ふと考えてしまう。

「日本でこんな光景を見ることがいつの日か来るのだろうか?」

「ま、ないだろうな。。。」と、すぐに諦めてしまう自分がとても悲しい。

ドメスティックな評論家が、「日本は日本語だけでやっていけるだけの経済力を持っていて非常に素晴らしい国である」みたいなことを良く言っていたが、もうそろそろそんな呑気な思い込みが瓦解する日も近いだろう。

確かに、一般の日本人が外国へ行かないとまともな生活ができない状況になるまでは、まだまだ時間がかかるだろう。

しかし、今のままではじり貧だ。

なので、どうにかしたい。

でも、なんだかいつも低次元の問題に巻き込まれてやる気が失せていく。

例えば、日本では外国語ができる人間の存在が本当の意味で「許されていない」。

私自身取引先の担当者から「xx語で部下が取引先と話をしていると理解できないので不愉快だし、ミスをしても責任をとりようがないから非常に困る」と何度も言われてきた。(暗に私への批判でもある。)

こんなレベルで横槍が入ると、正直やる気があっという間に失せる。(それが相手方の目的なんだろうけど。)

出世していくのはドメスティックなドメ男くんばかりだ。

大学でも同じだった。

大学院時代の知人たちはもう大体40歳前後だが、みんな非常勤でなんとか食いつないでいる状態だ。>もちろん非常勤だけで食べていけるわけではないんだけど。

その中にxxからの帰国子女でxx語の非常勤講師をいまだに細々とやっているひとがいる。

あまりにもxx語が良くできるので、「正直大学にいるなんてもったいないよ。なんでこんなくだらない業界を去らないの?」と尋ねたことがある。

その時の彼女の答えにはビックリした。

「この10年間ずっとxx語が話せることに対して、罪悪感を抱き続けていたんだよね。。。」

「xx語業界って、xx語を普通に話せると浮いてしまうし、おじさんたちにものすごく反感を持たれるから。自分を殺し続けていたら、この業界から抜けれなくなってしまった。」

最初は予想外の答えにいまいち理解できなかったが、彼女がこんな低レベルな嫉妬に10年間も苦しみ続けてきたことに正直驚いてしまった。

確かに、若い研究者が安い時給あるいは無給で通訳に雇われて、陰で年寄りどもに悪口を言われている現場に遭遇した経験は一度や二度ではない。

「ペラペラ話す奴は中身がない」

「ペラペラ話すやつは研究者としては二流だ」

「ペラペラ話せるからって、いい気になってんじゃねーよ」

「生意気だ」

こんなレベルの「大人」を相手にして疲弊するより、別のことに時間と労力を割きたい。。

しかし、もはやマルドメな人間が多すぎてどうにもならないよ。

ホント。