大学のガバナンスの問題点 by 財務省 主税局

藤城:
大学の学長さんは、こうした問題はある程度分かっています。研究の最前線でなく、後進の育成で頑張るということでもよいと思いますが、研究・教育の人員の再構成が必要かもしれません。その理由は、お金の使いかたの話もありますが、やはり、そうでないと、国全体としての教育力、研究力を高めることになかなかならないのではないでしょうか。

大学関係者の中には、高等教育予算を倍にしてほしいと言っている方もいますが、「それでは、現状の大学内のメカニズムは、効果的なものですか?」と尋ねざるを得ません。そう言うと「いや、今やろうとしている」といった答えが返ってきたりしますが、いつまでにやるのでしょうか。これは、厳しく聞こえるかもしれませんが、他の世界でも求められていることです。企業であれば、スクラップアンドビルドは当たり前です。しかし、これまで、大学の場合は、これを求めにくい構造だったのかもしれません。

玉井:
いまの話は、個々の大学のガバナンスのあり方にも反映されると思います。さまざまなところで指摘されるのは、教授たちが投票して、得票数の多い人が学長になり、その人が理事長として経営のトップにもなるという仕組みで本当に大学はやっていけるのか、ということです。どれほどの名医であっても、自分の身体を切って病巣を摘出するということはできないでしょう。そういう場合は必ず他人に頼むということになります。したがって、外部の人が経営者として入る、それに対して学問的に説明責任を果たす人というのはまた別にいる、その代表が学長だといえます。たとえば私立大学の場合、理事長職と学長職は分かれているところが多いでしょう。ところが、国立大学では学長即ち理事長ということになっている。

学長と理事長を分離する体制がすべての国立大学に一律に必要かどうかは別にして、少なくとも、理事長即学長という仕組みをすべてに当てはめるべきではない。体制の自由度というようなものも必要なのではないか、そういう議論もあると思います。

藤城:
全く同感です。よく企業と大学は違うと言われますが、組織論的に見れば、企業と大学は、基本的なあり方で、それほど変わらないところも多いと思います。従業員の投票で社長を決める会社がこの世にないように、当然、社長は株主なり、その組織のステークホルダーに対する責任を経営者として負っているわけです。国立大学であれば、寄託者は国(納税者)かもしれませんので(私立大学であれば、大学の創設者、あるいは寄贈した人かもしれませんが)、彼らを向いて仕事をする必要があります。ところが、従業員が選んだ社長となれば、はたして株主を見て仕事をするかどうか。もちろん、株主しか見ていないのも弊害があるかもしれませんから、これは相対的な問題ですが、少なくとも現状は、トップが従業員を気にするようなバイアスがかかる恐れのある組織になっていると思います。立派な経営を行っている学長もいらっしゃいますが、システムとして、常にそのようであるのかどうか。外部評議員も入れていますが、では、どの程度、彼らの意見は反映されているのか。

したがって、理事長と学長が、それぞれの責任範囲を明確にするという意味でも、両者を分離するのは1つの考え方です。それが仮に難しければ、学長が、従業員のみならず、株主たる国民を見て運営を行うというバランスを担保する仕組みが必要です。特に、そのことは、トップが大学自体のあり方を変える改革を求められる場合に、重要となるでしょう。

玉井:
少し微妙な話になります。結局、いま現に椅子に座っている人が絶対立ち上がらなくていいということで、なおかつ全体のその椅子の数も決まっているということであれば、いくら新しい分野が出てきても、新しい人は座れないということになります。したがって、経営面で体制を変えるということになれば、リストラも含めた改革が、それぞれの大学に必要かもしれません。

藤城:
そうかもしれません。本当の意味で日本の大学を世界レベルにしたい、あるいは、よい貢献をしたいと思えば、新しい分野を入れていくのは当然です。しかし、そこがイス取りゲームで阻まれているのであれば、どのように目的を達成するのでしょうか。それが常に予算の拡大傾向のなかでしか実現できないなどということは、許されないでしょう。

玉井:
たとえば、モデル的にいうと、ある大学のある学科に、毎年人件費を含めて1億円ずつ投入されており、教員は5人いるとします。そこに1億円を投入しているということは、藤城さんの立場でいえば、1億円国債が増えているということになりますね。そこで厳格に評価してみると、どうも1億円には値しない、 5000万円くらいでよいとなったとき、どうするのでしょうか。皆さん方でリストラをして、2人、3人抜けていただき、研究費は大幅にカットするとするのでしょうか。あるいは全員どうしても必要な人材だというなら、給料を半分にしたらどうかとするのでしょうか。あるいは、そのあたりは大学なり学科なりで決めくださいということになるのでしょうか。

藤城:
そうですね。経過措置のあり方の問題でしょうか。興味深いのは、非公務員でありながら、いまでも給料は人事院勧告準拠という大学があるのです。労使折衝で自由に決めて構わないのですから、結果的に、給料にメリハリをつけてもいいと思うのです。それが法人化のメリットではないでしょうか。全てが人事院勧告であれば公務員のままと変わりません。国大法人移行後の第一期は、そのような運営もあったのかもしれませんが、第二期になれば、必要な判断をしてもらいたいものです。いままでどおりの中で少しずつ変えていくということでは、長期低落傾向にもなりかねません。繰り返しますが、本当に大学をよいものにしたいのであれば、これに取り組むべきであり、それができないので金を増やせと言われても、受け容れがたいという話になります。

玉井:
いきなり給料半分ということになれば、実際にはかなり酷でしょうね。もちろん場合によっては非常に本が売れていて別に困らないという人もいるでしょうが。

藤城:
給料を半分というような極端な話をすると、皆抵抗しますが、退職不補充や現給で昇給停止、他大学の学科との併任とか、工夫はあると思うのです。民間では、さまざまな工夫をして、厳しい状況を抜け出そうとしています。大学もそれぐらいの覚悟が求められています。「それでは、30年かけてやります」などと言うわけにはいきません。「大学を世界トップ水準にしたい」という話の一方で、リストラは30年かけてと言うのでしょうか。本当にやりたいと思ったらやる、やる権限がないのなら、権限を付与する制度改革を行うと、次はそういう話になるでしょう。

玉井:
標語的に言えば、5年で世界トップ水準にしたい、しかしリストラは30年かかってやりたい、だから5年間で予算を倍にしてほしい、そういう話は通用しないということでしょうね。

藤城:
そのとおりです。