どこも同じ2

e-doctor より
内視鏡ゴッドハンドの挑戦 工藤 進英 先生

―しかし85年の発見後も、学会で認められない日々が長く続きました…。

 結局、欧米で発見例が無いものは、世界で認められないのが現実です。「陥凹型がんなんて工藤の妄想だ」と言われ、「クドウ病」なんてネーミングまでもらいました(笑)。
 ようやく認められたのは11年後の96年、フランスの消化器内視鏡学会でした。ヨーロッパでは実際の治療を公開するライヴが盛んに行われています。私も招かれて、内視鏡検査を実演しました。
 実際に目で見るほど強いものはありません。「陥凹型がんなんてありえない」と言っていた研究者たちも、ようやく認めざるを得なくなりました。「ありえない」と言っていたものが、大型スクリーンにデカデカと映っているのですから(笑)。

―海外から先生の下へ学びに来る医師も多くいます。

 指導した人数は、述べ600〜800人ぐらいになるでしょうか。そのうち外国人が200人ほどで、一番多いのは台湾人ですね。今日も韓国から3人ほどやって来ます。

―それだけたくさんの医師を教えていて、先生ご自身の研究に支障は出ないのでしょうか?

 誰にも教えなかったら、技術が私の代で終わってしまいます。私たちの研究も、先人たちの積み重ねの上に成り立っているのですから、私も次の世代に伝えていく責務を感じています。
 特に内視鏡の分野はマンパワーが足りず、世界中で人を育てていかなければいけない。先頭を走る人間は、後に続く人たちを導く義務があります。そうすることで、人類は良いものを共有し、次の世代に伝えていくことができるのです。

―なるほど、先生から教え子へ、教え子から世界へと、良い技術が波及していけばすばらしいですね。

 もっとも中には、国に帰ってから誰にも教えずに、技術を独り占めにしたがる人もいます。自身のプライオリティー(希少性)を保ち、お金や名誉を得たいのかもしれません。
 私は「そんなスケールの小さい考え方ではいけない」と、常々話しています。真実を公にするのが科学者の使命です。良い技術を人に伝えることでより多くの人を幸福にでき、また技術のさらなる改良にもつながります。
 科学が究極的に目指すところは、人類全体の幸福でなくてはならないはずです。

―世界でご活躍の先生の目に、日本の医療はどう映りますか?

 医師が実力によって正当に評価されないことが、最大の問題です。例えば専門医制度というものがあるのですが、ただ学会員になり、年会費を払っているだけの人が「専門医」になれてしまったりします。完全に有名無実化している専門医制度が多くあるのです。専門医制度が国民の信頼を得るためにも、症例を積んだ、一定のレベル以上の人に限らなければいけないでしょう。
 また診療報酬が医師の技量にかかわらず一律なのも問題です。同じ内視鏡検査を、私がやっても研修医がやっても報酬は同じ、それはないでしょう(笑)。学会に出れない(よって知識が向上しない)開業医のレベルに合わせているのでしょうが…。

 優秀でも下手でも報酬は同じ、それは共産主義の考え方であって、先進国としては異常です。韓国などはプロフェッサーになると報酬が倍になるほどです。
 以上二つの例の根底にあるのは、日本に巣食う「悪平等思想」でしょう。横並びの価値観が行きすぎて、実力を正当に評価することができなくなっている…それが日本の医学会の現状です。社会の健全な向上のためには、成果を出す人への最低限のインセンティヴが必要でしょう。