パラダイス自治

ある程度個々人の能力が試される組織では、採用活動が最重要事項の一つになる。小規模の組織ならなおさら採用した人間一人一人が組織存続に直結するので、真剣にならざるを得ない。

こんなことはだれでも知っていることだ。

とはいえ、自分自身採用にかかわれば、自分の見る目のなさと採用基準設定の難しさを痛感するのだが。

日本の大学が犯している最大の誤りの一つは、人文系各学部や講座の教員が研究者の能力を審査する能力や資格があると思い込んでいることだ。(思い込んではいないのかもしれないけど、実際はそうなっている。)

私自身も採用担当者からある研究者の能力や人柄を尋ねられたことがあるが、やはり自分の専門から外れる論文を読んでも査定できないのだろう。

できないならそれなりの施策を考えれば良いのだけど、してないな。

あるポストが空けば少なくとも内外の専門家を招集して、審議することぐらいはしたほうが良いと思うんだけど。

が苦心特別研究員の人選は(様々な噂はあるにせよ)比較的なまともだったりするのだが、大学教員の採用に関しては本当に意味不明なものが多い。

コネとか人柄とか相性とかあるんだろうけど、それって研究機関としては自殺行為じゃないの?

普通の会社経営なら、時代の変化に対応できない社員をリストラせず、しかもその社員が自分に都合の良い人間だけを採用し、さらにその新人を教育もせずにほったらかしにしていれば、あっという間に倒産するだろう。

しかし、多額の税金が投入されており、実質は研究者養成機関ではなく労働者供給機関である大学はなかなか滅びない。

最低でも

(1)高年齢層のリストラ
(2)採用基準・方法の見直し
(3)文科省財務省へのロビー活動(高校や予備校への営業はやらされてる)

くらいは推進しなければ研究者養成機関としての大学は自壊するなんて誰でも分かりそうなことだと思うのだけど。

(1&2)定年の年齢は一向に下がらないし、リストラは新規採用枠の削減で対応。採用基準は相変わらず意味不明。ほとんどの教員は自分が逃げ切れれば良くて、自分が選ばれた選択システムを否定されたくないだけなのがミエミエで、まともな学生は近寄らなくなっている。

(3)文科省から要求される提出書類の多さに辟易しているとか文句をブーたれている連中は多いけど、業界存続させるべくポスト確保のためにロビー活動している教員って存在するのだろうか。理事会に媚を売るくらいが精一杯?

人文学なんて、国の支援がなければ生き残ることができず、歴史が浅いにもかかわらず、すでに時代に取り残されたガラパゴスなんだから、ロビー活動を展開することは必須だと思うのだが。

役所の圧力に負けて受動的にやるより、能動的に動いたほうが精神衛生上良いと思うけど。

大学の自治というパラダイスを味わっている間に、「学問の自由とは勝ち取るものである」とか「変わらなければ死あるのみ」という言葉を忘れてしまっただけだろうけど。

*人学系学部で最悪なのは、博士号の扱いだ。最近では博士号をもっていない教員が、学生に博士号を出したり、挙句は海外の大学で提出された博士論文を審査までしている。

無茶だよな〜。

以前某外大の学長が「グローバルに通用する外国語教育をしようとすれば、教員を全員入れ替えなければならない(のでできない)」と言っていたが研究者に関しても全く同じ言い訳がなされている。

曰く「最近の大学では新規採用に際して博士号が必要なので、博士号は出さなければならない。博士号を持ってない教員は博士号を出せないはずだが、そうなると博士号を出せる人間がいなくなる(ので止めることはできない)」

勘弁してほしいよ。