ループするだけの大学談義

講師の「細切れ雇用」で、大学は教育できるのか? 非常勤講師の40代男性のケース

事実関係はその通りなのかもしれないけど、以下の個所を読んで大きな溜息。

研究者の卵たちにとっても不遇であるが、教える立場の人間が細切れ雇用であれば、そうした非常勤講師に教えられる学生は細切れ教育を受けることにもなる。資源に乏しい日本が世界で生き残るには、優れた頭脳を結集して知的な勝負をかけてリードしていくしかないはずなのに、その土台が崩れようとしている。コスト削減という意味ではなく、真の国際競争で勝つには、他の国から模倣されても追随を許さないよう、技術やアイデアがナンバーワンであり続けなければならない。だからこそ、質の高い教育が大事であり、教員が大事であるのに、まるで逆行している。

なんでこんな短絡的な結論になるかな〜

プロのジャーナリストさんには申し訳ないけど、私個人の経験だけでも「細切れ雇用」の被害者であるとされる非常勤教員の方がむしろ熱心に教育し質が高い授業を提供している場合も多かったぞ。

私自身非常勤生活をしばらくやっていたので、彼らの不安や焦りは痛いほど分かる。長期的には肉体的にも精神的にも疲弊していく。しかし、だからといって全員を常勤教員にすれば大学教育の質が高まるなんてオメデタイ話があるわけないじゃないか。

我々が取り組むべき問題は、そんな単純なレベルのものではないのだ。

文科省の強権と教授会の自治が奇妙に入り混じる複雑怪奇な支配体系、意味不明な密室的人事、学術的鎖国状況における学術レベルの低下、世代間格差による人員の不的確な配置など(このリストはいくらでも長くできる)様々な問題を含む構造的な機能不全が大学を今の姿にしているわけで、「細切れ雇用」だけに大学教育をダメにする犯人の役割を押し付けるには相当の無理がある。

凡庸な大学教員たちと同じく、コスト削減などを導き出す資本主義原理とやらを悪役にしたいのだろうけど、大学ですら資本主義原理に翻弄されるという現実から目を反らすべきではない、なんて当たり前のことなのではないだろうか?大学教員たちが貰う給与の原資がどこから出ているのかを少しでも考えれば理解できると思うのだが・・・

もちろん、そんなことを全く考えず、奨学金を貰うのと同じノリで給与を貰っている大学教員が大半だということも知ってますよ・・・

知ってますけど、より鋭利な視点で批評すべきジャーナリストの思考回路が大学教員と同じように短絡的すぎるのは良くないのではないでしょうか・・・

一体いつまでこんなレベルの大学論が続いていくのだろうか?

もうオジサンは飽きたよ・・・